春が来れば思い出す #池袋 #北池袋 #板橋 #ヘア #美容院 #床屋 #顔剃り #ヘッドスパ #クリパー

こんにちは、滝野です。

今回は、毎年この時期になると思い出す、滝野健太少年中学生の頃の『感謝の思い出話』です。

 

 

皆さんは滝野がとても真面目で素敵な男だと思っていることかと思いますが(笑)

滝野はその昔、勉強もしないで授業中校庭の体育中の女子を眺めたり、学校をサボって公園でブランコ漕いだり、授業中学校を抜け出して駄菓子屋でブタメン食べたり、たこ焼き屋でたむろしたり、学校行かずに映画を観たりしていました(良い子はマネしないでね♪)

かと言って不良でもなく、オタクでもなく、どこかに属するタイプでもなく、でも知合いは多くてイジメる側にもイジメられる側にも友達らしい知り合いが居るけど唯一ひとりの親友を除いては単独行動のいわゆる「お一人様問題児」でした。

 

キャラが強いせいか、入学以来ずっといじめっ子に間違えられたり、不良と疑われたりと教師方には「迷惑な奴」でしかなかったらしい。

ハッキリ言って僕からすれば「逆!」自分をバカにした同級生をぶっただけ、もちろん1人で、だけど誰も信じないし担任からは「あんたが誰かに近づくと不幸になる、みんなと関わらないで」とか「お前みたいな嘘つきがクラスの輪を乱す」だとかお言葉を頂いて、クラスの班分けも滝野ひとり、席も一人だけ離される、担任からの露骨なご指導が1年続く…

 

「だったらお望み通り『友達』なんか要らん」とやさぐれてからは友達も信頼する人も作らなかった。当然学校も嫌いになった。

 

そんなこんなで2年生になった時、新しく赴任してきた「谷口 ひろし」という国語の先生が担任になる。

デコッパチで「デコひろし」と呼ばれていた。呼んでたのは僕だけやけど(笑)

生徒の情報は前任から受け継ぐらしく結局何も変わらない学校生活が始まる。

 

ある日の全体集会でクラスのやんちゃな子がふざけて滝野に話しかけてきたので「後で聞くから今は話しかけんな!」と素直に断ってもおふざけが好きなそいつは何度も話しかけてくる。そこで割って入ってきたのが新担任!!「いい加減にしろ!」と滝野を責める。

なんとそれだけの些細なことで家庭訪問までするんだから忙しいお方。

 

母親に担任が事情を告げると親にまでぶたれる始末。

なんと言ってもウチの母ちゃんは参観日に他人の子でも「授業聞け!」と説教するぐらいの人、息子がそうなら尚更。

でも断ったのが本当の事実、「俺は話してない」と言った。「ホンマに嘘ついてないねんな!!」と問い詰める母ちゃん。

「嘘やったら親子の縁やめるわ!」って言い切ると。「解った。あんた信じるわ」そう言って来訪者に向き直った母ちゃんは「ホンマにしゃべってたかどうかちゃんと見たんか?」と今度は担任を責める。

担任は「話ししてた!」…とは言わず、うつむいて「途中からなんで話してたようにみえました…」と正直に答えた。

「ちゃんと見てもないのに自分の決めつけだけでウチの息子犯人扱いすんのか!!よう調べてからもの言えや!!」(もう少しだけ強い口調でまくし立てたのですが載せられません(笑))

「お茶飲むな!帰れ!!」と担任と副担任に差し出したお紅茶を全部下げて追い返した。親子そろって問題児(笑)

 

次の朝、担任に呼び出された。

「すまんかった、昨日もう一人に確認したら滝野はしゃべってないって言ってた。「あいつは黙るように注意しただけや」って聞いた。本当に申し訳ない」と頭を下げた。昨日ウチの家を出た足でそのまま聞きに行ったらしい。

「せやから言ったやろ!」と僕は声を荒げたけど自分がカッコ悪いと思った。本当は解ってくれるだけで良かった。嬉しかったのに罵る言い方をした自分が情けない気持ちになった。

母親にも謝りたいと言ったけどそれを母ちゃんに伝えたら断固拒否された「ふざけんな!」だそう(笑)短気は損気♪

 

そこから何かが変わっていった。

先生は僕の話を聞くようになった。何でそんなことした?とか、何でそんな言い方した?とか、理由がある時は「そうか」と聞いてくれた。理由のない時はめっちゃ怒られた。

実際あまり話さない人だったけど『ブルーハーツ』と『ろくでなしブルース』と『ルーキーズ』の話はもういいってぐらい話し出すような気が載るとめっちゃしゃべるタイプ。授業中、奥さんの馴れ初めとどれだけ想ってるかで授業が1時間潰れたことがある。

どっちがヒロトを歌ってどっちがマーシーのハモりを歌うかで普段の3倍怒鳴られたこともあった。

 

 

そして中3になる。担任は持ち越しで谷口先生。←ハズレくじ引く天才(笑)

受験に向けての進路指導、やさぐれ滝野はぼんやり将来は美容師になりたいなぁなんてことを考えてたぐらいで別に高校は行けなきゃ行けないでいいと思ってた。先生は「高校は行っとけ、学歴でその人の全部が解るわけじゃないけど、今の時代はまだ学歴で人を判断したりする」と高校進学を進めてくれた。そして何より美容学校に行くのに高卒の資格が要るのだ。

学校にあんまり行かなかった滝野は地元の工業校か定時制の二択のみ、もちろん推薦なんて頂けない。

「定時制でいい」と言った僕に「悪いとは言わんけど、けどな、やりたいことがあるならそこに向かうのに近い方が良いと思う。工業校受験しろ!」と言ってくれた。あの時の顔は忘れない。

成績もギリギリアウト、出席日数も何んとかって状態で一般入試専願で落ちたら終わりの一本勝負で決まった。

 

そんなこんなで中3の夏休み前、突然に先生が家に来る。

「よしやるぞ!」…と部屋に入ってきた。「何を?」もう半分解ってたけど聞いてみる

「勉強に決まっとるやんけ!」そこで先生が取り出したのは『小学3年生 算数ドリル』

「ふざけんな!俺中3やぞ!」恥ずかしい気持ちで押し返した

「ふざけてない、お前のレベル小3なんや、今向き合ってやらんとこの先ずっと間に合わんくなる」やりたくない一心で押し切ろうと

「奥さん妊娠してつわりで大変って言っとったやん、帰りぃな」となんとか帰らせることを考えて逃げ口上を言った。

「あいつも解ってくれる」一番心配してんのは先生やった、それなのに時間を作って、自腹でドリル買って来てくれた。

やるしかない!

1時間も経った頃ちらっと先生を見ると部屋の本棚をじっとみてた。ルーキーズの新刊が気になってしょうがないらしく全然集中してなかった。

2時間弱で終わった後、ルーキーズの新刊と「奥さんに」と母ちゃんが晩飯包んで渡した、母ちゃんは何回も「ありがとう」と言いながら先生を見送った。

後日、新刊と洗った皿を学校でこっそり手渡された「学校にマンガ本持ってくんな!」と説教して没収してやった。

 

受験まで出来る限りはしたと思う。受かりたいより違うことが集中力のない僕を踏ん張らせてくれた…ような気がする。

 

2月、試験当日

国語、数学、英語の3科目。

英語はまず捨てた。覚えているのは『One day』を和訳しろ、映画を字幕で観ていて良かった『ある日』後は知らない。

数学は多分周りから見ても湯気が立ってるのが解るぐらいだったと思う。とにかく全部埋めた。

国語は唯一の得意科目。でも漢字が苦手だったけど先生が教えてくれた『専門』の専には最後『´』が付かない。

国語が一通り埋め終わって見直ししていると試験官をしている高校の教師が学校名と名前を見て「お前か」と笑った。意味が解らない

 

結果は学校に郵送で来る形式で廊下でひとりづつ手渡されて開封する。

 

『合格』!!

 

もちろん最初に先生に見せに行った。「おめでとう!お前が頑張った結果や!ようやったな」そう言って握手してくれた。

「せやろ(笑)」そう言って握り返して他の教師にも自慢しに行った。「みたか!」という気持ちで揚々としていたら

「お前知らんのか?谷口先生は昼飯も食わんと受験の何ヶ月か前からずっとお前の受ける高校に毎日頭下げに行っとったんやぞ、「推薦が学校から出んけど僕は彼を推薦します。よろしくお願いします」って」

 

『ありがとう』以上の時ってなんて言えば良いんやろね…。

 

その後、何度もお礼が言いたくてその話をしても「お前が自分で結果を出したことを人の何かと思うな」と一蹴されるだけだった。

 

卒業式

泣きべそ担任は鼻垂れながら金八先生バリに何か言うのかと思いきや、「皆が大人になったら一緒に酒を飲もう!」と酒飲みのお誘いだけで終わった。

いつもそう、多くを語らず、行動でみせてくれる。素敵なデコッパチ先生。

「先生、ホンマにホンマにありがとう」今度は僕から握手した。

「お前すぐサボるからちゃんと学校行けよ、ちゃんと卒業しろよ」握り返した手はちょっと冷たくて芯のある力だった

 

4月に先生は異動で違う学校へ行ってしまった。お別れが嫌いな滝野は見送りには行かなかった。見送りに行った子から卒業式後、先生の子供が産まれて、男の子だと聞いた。

 

見送りの代わりに人生で何度目かの手紙を書くことにした。

伝えきれなかったお礼のこと、高校を卒業すると約束したこと、子供が産まれたお祝いの言葉。ありきたりで汚い字だったけど気持ちだけは精一杯込めて送った

 

返事は二週間も経たずに届いた。

相変わらず見やすい字、行の最後に『、』を打つクセは一生直らないなと思いながら読んでいた。

でも書いてあったのは僕を応援する文章ばっかりで『お礼の言葉』に対する返答は一文字のなかった。

最後の3行ほどに子供の話が書かれていた。

名前を「健太」とつけたこと。

そして「いつか一緒に酒を飲もう」と〆られていた。

 

母ちゃんに手紙が来たこと、子供の名前が「健太」くんであることを伝えた。

「知ってるよ、お母ちゃんが居る時に提出しに来た」…「はぁ?知ってたん?」

母親はお役所勤めで先生の住んでた区役所に居たのだ。世間は狭いものね

 

その後、先生は親御さんの事情で教師を辞め、実家の山口に帰ってしまった。

結局この先も一生『お礼の言葉』の返事は聞けないと思ったので、自分がしてもらったことを自分が出来ることで他の誰かに返そうと思った。

 

『優しい人』とは人が憂鬱な時に傍にいる、「人」「憂」と書いて「優しい」という意味らしい。

 

今は『ありがとう』以上の言葉がなくて良かったと思う。

もし、そんな言葉があったならその時返してしまってただろうし、誰かに繋げようともしなかったんじゃないかな…。

あんなおデコはイヤやけどこんな大人になりたいと思った。

 

泣きべそで、口下手で、かたくなで、人想いで、厚苦しくて、デコッパチのカッコイイ大人に憧れた15歳の青い春のお話でした。

 

おしまい

 

谷口先生、本当にありがとう。いつか一緒に酒を飲もう

 

 

 

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